紙の知識

1.紙の歴史1≪世界≫

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1)紙のルーツ(語源)

紙のルーツはメソポタミア文明の「パピルス」と言われています。パピルスとは、ナイルに生息するパピルス草の茎を薄く切り縦横に重ねて、水を加えて押固めてから乾燥させて作られたものです。古代エジプト、ギリシア、ローマ帝国の時代に、軽くて丈夫で筆記しやすいパピルスは、エジプト政府の専売品として重要な輸出品でした。紀元前3千年から紀元後十世紀までの間、書写材料として使われていたのでパピルス(papyrus)は英語のペーパー(paper)のルーツにはなっています。しかし製法が異なることから、厳密には紙の類似品です。多くのパピルスが多国へ輸出され、広く使用されましたが、現存するパピルス文書が少ないことから、パピルスの保存性はあまりよくなかったと推測されます。

その他、紙が発明される前までは粘土板、パーチメント(羊皮紙(ようひし))、パイラーン(貝(ばい)多羅(たら)葉(よう))などに文字を書いていました。

大切な情報を、次世代へ継承していく手段として「紙」は誕生したのです。

【紙が発見されるまで】
粘土板 ◇人類が発明した書写材料の中で最も保存安定性に優れたもの ◇粘度が湿っている状態で書く ◇重くてかさばるのが欠点
帛(はく) ◇絹布(けんぷ)、書写材料としては使いやすく優れている ◇画材として王侯・貴族など支配階級で使用 ◇保存性は紙より劣る
木簡・竹簡 ◇木や竹を削ったもの ◇漢字文化圏で縦書きが多いのは幅の狭い木・竹の影響と言われる ◇欠点はかさばること、重いこと
バイラーン(貝多羅葉) ◇椰子の葉をいていの長さに切り乾燥させたもの ◇インド・タイ・ミャンマーで使用 ◇欠点はかさばること、幅の広いものが得られないこと
パーチメント(羊皮紙) ◇羊の皮を石灰液に漬け、毛を取り乾燥させ、軽石で磨いたもの ◇1455年にグーテンベルグが活字印刷した時、印刷に使用 ◇豪華本、条約文書、祈祷書などに使用 ◇とても丈夫で書きやすく、裏表使用可能だがとても高価
タパ・アマテ ◇無花果(いちじく)、楮などの樹皮を煮て叩いて乾燥したもの ◇タパはトンガ・フィジー、アマテは中央・南アメリカで使用 ◇軽くて丈夫で使いやすいが、作るのに手間が掛かる
通草紙 ◇通脱木(つうだぼく)の髄を取り出し、かつら剥きして薄いシートにしたもの ◇台湾の特産品 ◇強度が低く、大きなものは作れない

2)紙の発明

■紙の発明時期

四大発明(紙・印刷・火薬・羅針盤(らしんばん))の一つである紙は中国で発見されました。西暦105年に蔡倫(さいりん)という中国人が和帝に紙を譲譲した記録が残っています。この記述から蔡倫(さいりん)が紙の発明者と言われていましたが、1986年に紀元前170年から前漢時代の遺跡で紙に書かれた地図が見つかりました。この紙「放馬灘紙(ほうばたんし)」は同時に出土した陶器、漆器の特徴から前漢早期(紀元前176年?141年)のものと推定され、現在のところ蔡倫(さいりん)以前に発明されていた世界最古の紙と考えられます。しかし、遺跡で見つかった「放(ほう)馬灘紙(ばたんし)」は、表面の平滑性が悪く、文字が書きにくかったため、書写材料としては満足できる品質ではなかったようです。前漢時代の遺跡からは木簡(もっかん)が合わせて出土していたり、竹簡(ちっかん)はあるが紙文書が出土していなかったりなど、紙が普及していなかったと推定されます。蔡倫(さいりん)が完成させた製造技術により紙は大きく進化し、写生に適したものとなりました。麻製品の廃品や樹皮などを使ったその紙は「蔡候紙(さいこうし)」と呼ばれ、広く使われるようになりました。今日の紙製法の基本工程は蔡倫(さいりん)の時代と同じなので、蔡倫(さいりん)は紙の製造方法を確立した功労者だと言われています。

【中国・前漢遺跡から出土した紙】
推定年代 出土した紙 場所など 出土時期
B.C176?141年 放馬灘紙(麻紙) 甘粛省 天水市放馬灘の古墳(世界最古の紙地図) 1986年
B.C140? 87年 覇橋紙(麻紙) 陜西省 安西市覇僑地区の古墳(貴重品を包装) 1957年
B.C 53? 50年 金関紙(きんかんし) 甘粛省 居延肩水金関跡 1973?74年
B.C 74? 49年 懸泉紙(けんせんし) 甘粛省 敦煌懸泉遺跡(文字が書かれた紙は初めて出土) 1990年
D.C105年 蔡候紙(さいこうし) 蔡倫、麻ボロ、樹皮で製紙(和帝に献上) 432年「後漢書」に記録

■中国古代の製紙法

蔡倫が活躍したころの紙の原料は、麻のボロ・漁網などを細かく切り、洗って汚れを除き、臼(うす)と杵(きね)でついて繊維を水に分散させ、枠に縄を張った紙すき機ですいていたと言われています。また、蔡倫が記した原料の中には木の皮もあったので、この頃から既に、灰汁(あく)(アルカリ)で原料を煮ていたと推定されます。

漢の時代には、木の枠に網を張ったすき機で、すきあげてそのまま乾燥させていたと言われています。つまり、今から約二千年前、すでに製紙の基本工程(繊維を取り出す→叩(こう)解(かい)〔叩いて繊維を細かくほぐす〕→抄紙(しょうし)〔紙をすく〕→乾燥)はすべて行われていました。蔡倫の製紙法は世界中に伝わり、それぞれの地域でさらに独自の発展を遂げていったのです。

【漢時代の製紙工程】
麻のボロ・漁網などを水に漬ける。
それらを切り刻み、水で洗う。
草・木の灰を水に入れ、笊(ざる)でろ過して灰汁(あく)を作る。
ボロ切れを灰汁で煮る。
石臼(いしうす)でついて、水洗いをする。
紙槽(かみぶね)(原料を水に溶かして入れておく水槽)の中に入れてかき混ぜ、紙料(しりょう)液(えき)を作る。
木枠に網を貼った紙すき器を持って紙料液を入れ、紙をすく。
紙すき器を立て掛けて乾燥し、乾いたら紙をはがす。

竹の簾(すだれ)が使用されるようになったのは晋(しん)時代と推定されています。この頃からすき枠、竹の簾、桁の3つの部分からなる紙すき器が工夫されるようになりました。漢時代と異なるのは原料が樹木の皮であること、すき上げた紙は紙床に重ねてまとめ脱水、1枚ずつ板に貼って乾燥させることです。工程の変化で製紙法の進歩、改良がうかがえます。

【唐時代の製紙工程】
樹木(楮・桑など)を切り、樹皮を剥ぐ。
水に浸して膠分を除く。
青皮(せいひ)を除き、水洗いする。
灰汁を作って、蒸し煮する。
水にさらして、もう一度青皮を除く。
切り砕いてつき、洗いそそぐ。
すき槽に入れかき混ぜ、紙をすく。
圧搾(あっさく)して水を除き、板に貼り乾燥させて、乾いたら紙をはがす。

3)紙の進化

■中国での発展

前漢時代の紙質は粗く白さも劣っていましたが、紙の需要が増えるとともに製紙技術の改良が進み、後漢末期になると左伯紙(さえきし)(表面が滑らかで美しく加工された紙)が作られるようになりました。

晋時代には紙に白色粉末を塗ることも始まったり、黄檗(おうばく)(きはだ)で染めた黄紙の使用も確認されています。

隋唐時代は中国製紙技術の発展期と言われています。樹皮を原料として紙質が向上し、多くの日用品にも紙製品が使用されるようになりました。金銀泥で描かれた加工技術は高い水準に達し、奈良時代の日本にも影響を与えています。宣紙(せんし)(主原料は二レ科の落葉高木の青壇(せいたん))が製造されるようになったのはこの時代です。宣紙は品質がよく、書家や画家に愛用されて理想的な書画用紙として使用されました。

宋時代は出版が盛んになり、大量の紙が必要になりました。そのため、紙の原料は唐代の殻(溝)、藤、木(もく)芙蓉(ふよう)、青壇などの樹皮から、竹や樹皮との混合が主なものとなっています。また古紙を原料とする還(かん)魂紙(こんし)作りも始まりました。稲、麦藁を原料とすることは唐時代に始まりましたが、盛んに用いられるようになったのはこの時代です。

明・清時代は中国伝統の製紙技術の集大成期で、明代末期の技術百科事典(1637年『天工開物』)に紙の材料、竹紙や樹皮紙の作り方、加工技術が掲載されています。

現在の中国はアメリカに次ぐ世界第2位の製紙大国で、世界最大級のワイヤー幅10.5メートル、分速1700メートルの上質紙抄紙機も稼働しています。

■世界への広がりと機械の開発

古代中国では製紙法を伝えることが禁止されていたので、中国圏内には比較的早くから伝わっていたのに対して国外には伝えられませんでした。製紙法が西方に伝わるきっかけとなったが751年に起きた唐軍とイスラム軍の戦いでした。大敗した唐軍の二万人の兵士が捕虜となり、その中の紙すき職人がイスラム人に伝えたことにより西方へ広まったのです。

754年、サマルカンドに製紙工場が建設されました。ここでは原料が大麻からリネン(亜麻)に変わり、小麦粉糊を使ってサイズを工夫するなど改良され、サマルカンド紙として有名になりました。

793年にはバクダッドにも製紙工場が建設され、羊皮紙から紙が公文書として正式に採用せれました。このようにアラビアでは紙が主要な書写材料となり、西欧諸国にも輸出されました。

9世紀になるとシリア(ダマスカス)、10世紀にはエジプト(カイロ)、1100年にはモロッコ(フェズ)に伝わり、1151年にはスペイン(ハティバ)に西欧最初の製紙工場が建設されました。さらに1276年、イタリア(ファブリアーノ)にも製紙工場が建設されました。その後、イタリアでは、スタンパー(水車を利用し石臼で叩解(こうかい)する機械)や透かし入れなどが発明され、14世紀にはヨーロッパの紙の供給地に発展していきます。当時イタリアの製紙技術はヨーロッパでは最も進んでいて、14世紀初めにはヨーロッパの紙の供給地となりました。

1348年、フランス(トロワ)、1390年ドイツ(ニュルンベルグ)、1494年にイギリス(スチブナ)に製紙工場ができました。1670年には、スタンパーより叩解能力が格段に優れたホランダービーターがオランダで発明され、広く使われるようになりました。現在も靭皮(じんぴ)繊維の叩解、分散に使用されています。

さらに1690年にアメリカ(フィラデルフィア)に製紙工場ができました。

1798年、フランスのルイ・ロベールにより長網式抄紙機の小型模型を作り特許を取り、連続的に紙を作る方法が開発されました。その後、イギリスのフォードリニア兄弟がこの特許を購入して、長網式抄紙機を実用機(フォードリニアマシン)に改良しました。

1826年、イギリスのドンキンは乾燥円筒(シリンダー)を抄紙機に取りつけて乾燥した紙を連続的に作ることのできる抄紙機を完成させ、現代の抄紙機の始点としました。

■木材化学業としての製紙産業

近年、紙の需要が急激に伸びてきたため、大量に生産できる原料が、技術が必要になってきました。そのため、非木材系の原料から木材が紙の主原料に変わって来たのです。

1844年、ドイツのケラーが砕木パルプを発明しました。

1850年、イギリスのディキソンにより円網抄紙機が作られ、その後の改良により現在では大型の抄紙機が稼働するに至っています。

■サイジング

1807年、ドイツのイリッヒはロジンによるサイジング法(内添サイジング)を発明しました。これは、苛性カリまたは苛性ソーダに松脂(まつやに)(ロジン)を溶かし、できた樹脂液をビーター(叩解機)で紙料に加えて混合し、明礬(みょうばん)溶液を加えてロジンを繊維に定着する方法です。サイジングはインクの滲み防止のために発明されましたが、この処理を行うことで紙は酸性化し、酸性度の高い紙は劣化が早く進みました。その後、紙の寿命を延ばすため石油系中性サイズ剤が開発され、酸性劣化を招かない中性紙も作られるようになりました。

4大発明

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